2020/11/10
ちょっと心の余裕が出てきた。
出てきたか?
昨日、がっとかいたブログ複数を見直してびっくりした。しんどそうすぎる。
頭が回ってないから、言葉が上滑りしている。
いつもしんどい時はこうだ。カチッとした自分を持ってない。形が無くなってしまう。
どうしたらいいのでしょうか。
枠を持ってたいぜ。
カチッと、打ち合わせにきっちり3分遅刻した。
先輩の作った資料だったのだけども頭がぜーんぜん回らなかったから頭が泳ぎ、泳いでいるなあ、と思いながら話した。
先輩は非常に端的にゆっくり話す。
それにつられる。自分も言葉が間延びしながら話す。言いたかったのはこれで良かったのか?吟味しながら。
なるべく、ふわっとしないように、言ったことを捻じ曲げないように、と意識するけれど、
会話とはいかに水物かと感じる。ゆっくり話すと、自分の脳みそから、ことばが零れる。地面にばらばらと落ちて、そのまま氷が溶けるみたいに、土に吸い取られていく。
だから機関銃のように、言葉の粒をぶつけるしかない。
自分の文章は読みづらい。いつも。思考を言葉にするのが難しい。
常に均一のアウトプットを、と考えている。機械になりたいのかもしれない。絶えずぶれず、安定していること。そんなことは出来ない。
できたとしても、ただ、急な変化には弱そうだ。誰かとかかわるときに柔軟に自分を変える、でもそれだと、適応偏重だ。結局自分は何者になりたいのだろう。間を考える。
一緒に溺れられない。一緒に溺れたいのに、すぐに怖くなって逃げてしまう。
そうだ、感情に触れるのが怖い、のだった。
昼間に会議。
司会の人と上司が話す内容が全然わからんくて怖くなってしまった。
よくある。自分はこの世のこと、何にもわかってないのだろうな。
みんなは何かわかっている風だった、でも自分は何もわかっていなかった。
わからないとはどういうことか、話を追おうとすると疲れ切ってしまう。
また会議があった、「難しいですね」と上司の人はよく言う。おれは一人おふざけみたいなコメントをして辛くなってしまった。自分だけ感受性がおかしいのかもしれない。
ただ、おふざけ、と決めているのは自分だし、それで自分を責めるとしたら、何も言えなくなってしまう。言えた自分を褒めたい。
でもなんていうか、自分がいかに動物的か、と思う。その場の快感情で動くだけの獣よ。でも思うよ、やっぱり本質は、絶対に人と話すのは、楽しいことなのだ、何か困ってそして人に触れることは絶対に楽しくあるべきなのだ。
あ、でもたぶん自分は少し回避的だったのだろうなと思った。回避的な意見を言った気がする。だけど真芯がわからない。ずれた意見を言って、あ、ずれたな、と思って、それを続けていくしかない。
書類を作った。やってられん。
椅子に座ってられねえ~
そのあと友達と飯を食った。サイゼ。サイゼの間違い探し、難しくてそれで食事が終わった。
ほぼ会話が無かった。
そいつも夢破れて山河あり、みたいな状態だったんだけど(どういう状態?)
統計が得意だから、データサイエンティストみたいな道もありだなと思うみたいなことを言った。
自分は何もないわけじゃないが、何に使える?みたいなガラクタの技能しかもっていない。じぶんに投資するなんてもったいない、と思っていたわけではないが。
言葉遊び、ファンタジー、10時間で手に入るPCスキル。凡百の絵を描くこと。
当たり前だと思ってやっていることで人に対して誇れることはそれくらいだ。それを使うしかない。手に職を付けたら安心してやっていけると思っていた。でも手に職なんてそもそもつく人間ではなかった。
代替可能の人間になることが嫌だった。でも今は
代替可能な人間以下だ、ということを突き付けられている。
8年くらい今のチームに所属している。違うところに行けば良かった、と強く後悔している。こういう行動原理について自分を振り返ると、不得意なことを伸ばそうとするとき、うまくいかないことがわかる。嘘、不得意なことを伸ばそうとして自分は5年間逃げ続けてきた。向き合うのは苦しいからだ。自分が苦手なこと、多すぎてわからんよ、もう。どれを伸ばしたら、どこに行くか、わからないから部屋にいる。
誰か自分を導いてくれ。こうした時、人は信仰とかを獲得するらしい。
でも自分の中で神は死んでいる。
電話で、電話口の人が「何か人と比べてる感じだね」というようなことを言った。
察しが良くて悲しくなった。こうしたことを気付けるようになるために、あと何年必要なんだ、一生できるようにならないのか。
夜勤。
同僚と話をした。
自分の会話下手過ぎて笑ってしまった。
人と話すと、どんどん落ち込んでしまうフェイズなのかもしれない。
でもうるせえ、うるせえって自分を鼓舞する。