10/14/2020
よかれ、について。
友達と話していて、もともとその器ではなく、どうにもならない人間に、なんとかそれを続けさせようと試行錯誤する援助者は、かえってその人の可能性を削いでいる、みたいな論文がある話を聞いた。
劇的な効果を誇るコーチングの達人は、最初にこいつは見込みがあるやつ、と決めて、選別しているから効果がある
少なくとも、こうしたことはよく行われている。
みんな手で持てる範囲でしか。
出来なくてもいい、というよりは、限界を見極めるための説明、が必要だということだろう。
自分に出来ることがこれしかない、と思った時から、何かの援助が始まるのだろう。
おれは何にも持てない気がしている。これが現実に沿った認識なら、何もしない方がよほどいいだろう。
一方で全てがめんどうくさい、ということもある。
自分はこんな人間になりたいはずじゃなかった。
何にもしたくない。人と話すのが怖い。
結局自分が関わることが加害になるのでは、と思う。そして、その加害かどうかはおれが決めるわけではない。他人がオールを握っている。
仕事に行く。同意も否定もしない。
あいだ、を作る作業だ。
生き生きした世界はそうした隙間に立ち上がってくるはずだ
ほんとか?