2020/12/29
仕事は夕方から。
部屋は汚い。
絵を描きたいな。と思いながら何もできない。
YouTube見てた。
ちょっとだけ絵を進める。
いっつもこのブログ書いてる時ってさ、
ほかのTwitterとか、LINEとかに連絡が来てないかなと思っていつもそわそわしてしまうんだけど、経験ないですか?
そういえば、2日前にアマングアスをしたんだった。初めての経験だったよ。先輩に誘われて、同期3人で。
アマングアスを知らん人に対して説明すると、
オンライン人狼ゲームです。
インポスター(人狼)とクルーメイト側(市民)に別れて、人狼を当てるゲーム。市民側は、それぞれ割与えられたタスクをこなす。人狼はタスクをこなしている市民に、気付かれる前に殺す。
経験したこととして、わからない文脈のやりとりががっがっと進んでて、それはやっぱり相手がいくらフレンドリーで柔らかい人たちだとしても、「そこで楽しむ」という文脈がある以上、こちらを手取り足取り教えてくれるということはなくて(それを期待するのは当然、無理なんだ、ということは100も承知なんだけど)アマングアスというゲームを楽しみきるというのは、何回か遊ぶ必要があるんだろうなあと感じたということ。
というか内輪ノリって難しいな、と思った。ある人は楽しむということと、外から参加した人は楽しまないということ。見えているものが違う、自分が楽しんでいることで、他人が楽しんでいる状態を想定するのは難しい。
ゲーム中思ったこと。
きっと、同じ日本語でも、異なる語法があるんだと思うし、異なる思考回路がある。
勉強すると、世界の解像度が違って見える、ということがある。人狼ゲームはいかに嘘をつくか、という遊びで、そうしたことは普段我々の日常生活では推奨されていないから、こういったゲームやロールプレイは、「悪いこと」をして褒められるには、うってつけの遊びだ。だからそれをしっかりとやると、日常の当たり前を相対化できるはずだ。
日常に仕込まれた仕掛けによって、、それはタイムカードだったり、時計だったり、ある一定の意味をもつ文章構文だったりする(このブログだってそう)
けど、私たちの行動はいつの間にか自分で動いているようでいて、何かに動かされている。大きな何かだ。そこではある行動のみを指定されるとかじゃなくて、選択肢は与えられ、それ以外の行動の選択肢は除去される。
人狼ゲームとかTRPGの演技は、その日常の幅をぶち壊してくれる、そしてそれが安全に行われるというところがミソだろう。
時々自閉症の人にTRPGや人狼ゲームを「教育」という「ねらい」でやる人がいる。それは売り出し方としてはいいんだろうけど、でもやっぱり遊びは遊びだ、と思う。
余暇活動に生産性を持ち込むということの気持ち悪さというか。
そうでもしないとやる意味を見出せないとしたら、社会の目からそれを感じざるを得ないとしたら大変だ。
人は生きて働く。ハンディのある人だって同じだ。だからこそ、ハンディのある人にも平等に余暇活動を余暇活動として消費するべきだという眼差しが必要だ。
はなしずれた。
そうやってできた世界の解像度や見え方は、やはり人が主観で世界を見て、それで自分好みに再構築しているのだということがわかる。
人が私は怖いけれど、それは何か、主観の網目の中から、ある身体的な反応、例えば相手のしかめつらとか貧乏ゆすりとかに注意を向けているから、なのだろうし、
言いたいことが真っ白になる感覚だってそうだ。
おとといのブログで人が話している最中にブログの文章が無茶苦茶になったのって、そういうことでしょう?注意をどこに向けているかが、全然わからなくなってしまったから混乱したんだ。
何かに熟達するということは、それがよしとされる文化に飛び込むこととある程度セットなことだと考えていいと思う。
自分が今何を良しとしているか、何を良しとしている集団に所属しているか、それはどこに注意を向けているからかをいつも考えていたいと思う。
広角でレンズを向けるのと望遠でレンズを向けるのとでは見え方は全く違うというようなものかもしれない。
それと普通にわかったことは ゲームは結局同じくらいの実力の人たちが繰り返し集って遊ぶ方がいいのだ。
アマングアスに加えて、
アルティメットチキンホースというゲームを友達二人で買って遊んだ。
目ちゃんこ面白い。マリオメーカーってわかる?ドカンとかボックスを配置してそれでコースを作って他の人に遊んでもらうみたいなゲーム。それを少し相互干渉を強めたゲームともいえる。
ボルダリングを一時期やってた時期があるんだけど、
それの楽しさに近い。相手にいかに難しく課題を設定して。それをクリアしてもらうか、自分もクリアするか。設定した核心部分(一番難しいところ=
これはボルダリング用語)を乗り越えられると脳汁がでる。
STEAMって魔境だなと思った、めちゃくちゃ面白いじゃんかどのゲームも。 これもみんながいっせーのせで買ったからだ。
中高生が、ゲームにのめりこんで戻ってこれない理由がよくわかった。わかったっていうかもう体験した。
こんなんやってたらそりゃ日常生活というか学校生活を送るのはかなり困難になるに違いないし、難しいだろうと思う。
日常生活で少しは上手くなると楽しいことを探すことしかないんだろうな。
3時間やってたら、壁キックとかが出来るようになっててびびった。
上達というのがあって、ゲームはそれを露骨に見せてくれるのが嬉しい。
終わり終わり。