2020/12/12
朝から仕事へ行った。あまり寝てないけど。6時間くらい睡眠したかな。
対応、あまり上手ではない。
相手の期待に応えられなさがあったと思う。
でもそれは相手のせいなのか、とも思う。期待が過度であるということ。
やり取りがあまりうまくいってなかった気もする、つまり相手の話を
ちゃんと聞いてなかったということ。ただベストを尽くしたとは思う。
あとで振り返りをした。結局はその二分法に陥るのではなくて、
それをせざるを得ない状況があると思う。そうじゃないときはどうだったか。
それをしていないときに上手くいったときはどんな感じかを探るような関りというのが役に立つかもしれない。
友達はいつも、何かを悪者にしたり、犯人を捜したりするのを止めようと言っている。それは役に立たないからだ。心に刻みたい。
専門用語でけむにまくのではなく、平易な言葉で人に伝える。
そういう練習が必要だ。
いまこうやって話していて生じてくる自動思考を検討する。
・先まで頭を使って話す、ということがいかに困難を極めるか。
ながい文章を平易に伝えるのはとても難しい。いつも場当たり的にやってしまって、
そして話しているうちに何を話していたのかがわからなくなってしまうから、そうやって長々と書くことが苦しい。
・ストーリーやシナリオを書いていても、全然先が思い浮かばないことがおおいし、そういう状況で自分はすぐにまあいいやって思って投げ出してしまう。
浮かばないのにも関わらずそこにいる、だ。邪魔だったら逃げた方がいいが。
逆説処方と治療的ダブルバインドの話
ひとに嫌われるのが怖い、という人に対しては、
「じゃあ人に嫌われることを言ってきましょうよ」と言う。
「わざとおそれていることを、冗談交じりで試してくる」というのがキモだ。
そしてうまく出来なかったら、「ああ、僕に嫌われることしてきたんですね」
「でも、僕あなたのこと嫌いにもなんとも思ってませんよ」
ということだ。
治療的ダブルバインドはめちゃくちゃおもしろい。何を言ったって「うまくいく」というディスコースにつなげてしまう。でもこれを即時に出来るのって怖い。
俺がいま陥ってるのも、ダブルバインドなのかもしれない。葛藤がすごくある。
じぶんのそとにある命令と、、自分の中の声が混乱しているからだ、
正規雇用に就きたい、つかなきゃだめだという気持ち(超自我的)がある。将来への不安からか。
そうではない気持ちがないまぜになっている感覚。これ俺たぶんある種の統合失調症的な状態になっていて、それで人の話が何を言っているのかわからない、ということになっていたのではないか。とかんがえていしまうま。
師匠と話していて、結局は決断をしていくということやね、という話だった。
可能性を広げていくモードと、狭めていくモードがあって、後者はやはり苦しい。
そのあと友達と話した。急遽明日彼女が来ることになって、部屋を掃除していないな、と思ったけど、それはそれでいいかと思っていた。
なんかしてもらうことに慣れるの良くないなと思うので、ちゃんと何か与えたいなと思う。
他人事だと思えない、ほっとけない感じがあって、それは自分を見ているんだよ。