10/22/2020
昨日の晩は久々に大学の時の友達と喋った。
お互い発達傾向が強いからなのか、そいつの特性なのかはわからないが、いつも一方的にそいつの話を聞いていることが多くてついつい笑ってしまう。
とにかく話したいんやな……と思う。
そういうときは、気持ちよく話させてやろやないけ、と思っている。
沈黙を味わうと、ふとこちらに話題が振られることもあるが、二言くらい喋ると相手に話題が取られてた。ふふ、と思う。
でも社会人やっててすげーと思うよ。ほんとに。
苦しそうに仕事するな、とは思ってるけど、エネルギーだけは人一倍だし、自己主張するパワーもあるのが、苦手を覆い隠してる理由なんだろうな。
ふと思う。会社員やってるひとはみんな言葉巧みで自分の話をする。そういった弁論に長けているということなのだろうし、社会的にはそれがもしかしたらスタンダードなのかもしれない。
人を自分の思うように説き伏せたり、正論をぶつけたりすることがよしとされる世界。しみじみとくらくらするし、やーだね、と思う。
会社員、平然とゴルフをやってたり、飲み会をしたり、女の子と遊ぶことを、当たり前の快感情だと思っているし、それを相手も持っていることを疑わない感じがあるのとか。環境がそうさせるんだろうか?おれの観測範囲が狭すぎるのかもしれない。
カントは人は五感で感じたもの以外は、永遠に分かりえないと言った。例えば死後の世界とか、世界5分前仮説とかだ。実際にあるとかないとかは、もうほんとに知りえないから、とかくそれは考えるのをやめろ、というスタンスらしい。こういったわけわからんのを考える人間の精神を「理性が暴走してるぞ」と言ったらしい。
五感で感じられるものを使って構成されるのが科学だ、と定義したおかげで、そうやって今ある学問は出来ていったと言われている。
おれからすれば、ゴルフが当たり前の世界、という知覚は想像こそすれ、理性が暴走して考えた世界と同じことのような気がする。
話それすぎた玄白。
誰?
そのあと寝た。
起きて仕事に行った
職員と話したり、
まあ、こんなもんか、と思ったけど、
わりと言葉巧みに動けててすっきりした。
言葉で世界を切り分ける感覚というのは、わりと心地いいのかもしれない。
人の反応をちゃんと見る、観察するという話をしてた。
観察するときに、もし不快そうな顔をしていたら、
すごく言葉を尽くして安心させようとしてしまうんだなあということが、話題にしてて気づく。
居心地が悪いからだ。不安定になってしまう。
不快そうな顔をしていたら、それを待って、
相手の反応を味わってみた方がいいよ!と言われる。わー!むずい! 気まずさを味わう必要があるね。ただ難しいけど、そうなのだろう。ピャっと反応しない技術。ついつい不用意に色々話して、ドツボを踏む感じがする。必要なことでも傷つけるなら言わないという選択肢を持ちながら対応することが大事だって、すごく思う。
やらない後悔よりやる後悔だ、論がよくあるけど、やらない後悔もやる後悔も、結局同じ後悔なら等価ではないか?と思ってしまう。
やらない、という選択肢も極めて尊重されるべきものだ。
やる後悔というヤケクソよりも、やって成功が1番いいんだから、ちゃんと時期をみて準備しろよ、確率を見定めろよってカズレーザーが言ってて、それはほんとそうすぎて、100回頷いたら首の凝りが取れそうになった。ほぼヘドバンだ。
ヘッドバンキングとネットバンキングって似てない?
は?
帰って牛丼食べた。
麻婆メンマ牛丼。すき家の。うますぎてやばかったのでおすすめです。
最近外食ばかりだなあ。
夜勤行く。
勤務開始した時点でバタバタしてすげー恥ずかしかった。あとから同僚からあんな慌てなくても良かったのにと言われて、たはは……ってなった。
そんな感じです。