ばけのかわ日記

日記/備忘録/考えたことを列挙する。

人が苦手論2

 

人が苦手な時の話続き。

特に自分からの発話や表現を抑制してしまう時の、頭に浮かぶイメージ(自動思考)を書き出してみる。

 1自分の意見を言ってみて、それで馬鹿がばれるのではないか?

 2自分のいうことはまるで的外れなのではないか?

 3自分の言葉はその人を傷つけてしまうのではないか?

 4一生懸命やろうとして、馬鹿にされたらとても傷ついたりするのでは、下手をすると人前で泣いてしまうのではないか?

 5自分が話しているときに、自分の頭が真っ白になったらどうしようか?

 とか思う。その後の行動としては

黙る、

愛想よくにこにこしておく

黙ってにこにこしながら、わかってますよ、というふりをする方がよい。

そうすると、黙っておくと傷つけるかどうか、馬鹿にされるかどうかは確認せずに済む。アホもばれない。でもこれも前に書いたことと同じだ。

短期的にはメリットがあるが、長期的にはデメリットだと思う。悪循環を断ち切らないといけない。そのたびに不安が高まって終わりだ。別に人と話さないで済む環境ならそれでいいけど自分の場合そうはいかないんだよな。

 

 (上記の自動思考について、実際そういうことってあったの?と尋ねられたら、高校生の時のディベートの時間に、自分の思想は当時かなり極端だったらしく、一人だけやり玉に挙げられ、魔女裁判みたいになったことがある。精神的火あぶりになっていた。形而上学的な死刑でもある。それはすごく思い出す。これも自動思考に入れてもいいのかもしれない)

 割とそこから自分は主張したりしなくなった気がする。山椒魚みたいなものだ。暗い穴から、あれこれ言うだけの存在というか。でも今はもうそういう風になるのは本当に嫌だと思っている。朝井リョウの「何者」の主人公も、適当に適応しながら、部活に打ち込んだり、必死になって就活する人間を斜に構えて批判する立場で自分を保っていたけど、当時自分は完全にそれで、そういう時に読んだので何者は最悪の読後感だった。小説で説教をすなよ、と思った覚えがある。

 

 最近は結構練習するようになった。わからん時はわからんというし、髪切ってもらってるときに話したり、店員さんにいつからこの店やってるんですか?って聞いたりする。有給なんてとれなかったけど、この前はじめて取ろうとした。逆に話したくないときは絶対しゃべらんぞ、と割り切れるようになったようにも思う。主導権がこちらにある感じがしてくる。少しわがままにしてももう少し世界は弾力性があるのかもしれない。いつか怒られたら改める必要はあるだろうが、怒られても、あ、それはそう思ってはったんですね?って確認してみたっていいのかもしれない。ぐらいの余裕がある。やっぱりおどおどしているかもしれない。自意識が過剰すぎる。

 会議でも思ったことは言おうとするようにしている。でも立場は悪くなりたくないので、極力絞りながら話している。たとえ不快であったり、不安であったとしても、なるべく穏やかに、しかし力強く言えるようになれたらいいと思っている。やらかすこともあるが、それも仕方ない。人とのかかわりが上手くなることは、諍いを生じないことを意味しない、ということがわかってきた。思ったよりみんなうまいことやれてない気もする。

 何より言葉は、自分が発しない限り、自分が何を思っているかはわからないのだ。

理解があってそれを言葉にするのではなく、言葉にしてみてから、あ、自分はこういうことを考えていたのだ、ということに気付く。

むしろ100%腑に落ちる言語化が出来るとか、そんなのは無理筋で、むしろ「言葉」と「表現したかったこと」とがどれくらい離れているか、言いたいことを探るように繰り返して、言いたかったことの輪郭がわかるという方が丁寧な言い回しかもしれない。

なんかバンプオブチキンがこういうこと歌ってなかったっけ?という気もしてくる。

この世のことってだいたいバンプオブチキンが全部言ってるから…。