10/24/2020お師匠との話し合い。
朝起きた。7時に起きるつもりだったのが、
11時に起きてしまった。
罪悪感は、まるでない。
何か出来るはずだ、と忙しくしながら生きることの無意味さを良くかみしめる。
人生とは本質的に無意味だ。
というか意味があると、意味に沿った行動しか出来なくなってしまうので、
絶えず決めない、ということが必要だろう。
お師匠と相談だった。
話したこと。相手の不快そうな、あるいは怪訝な反応を見ると、
多弁になってしまう。
すぐに言葉の煙幕を貼ってしまう。
煙に巻く、とはそういうことだ。
言葉の弾幕。
けどいらんことまで言ってしまうから、指摘されて悪循環になってしまう。
ちゃんと確認しろ、と、言われるが、
お師匠からは、その違和感自体を話題にしていく必要があるのではないか、と言われた。
相手の反応を見て、違和感を感じるとき、それをちゃんと出していく。
相手の動作を指摘すると、それは攻撃と取られる感じがあるから、私はそう思うよ、と伝える。
師匠の応答に注目することを備忘録にしておく。
話題が飛んだ時「今の話と、前後の話に何か関係性はある?ないか?」
「今言ってることと、その後の言ってることは微妙に位相が違う気がするんだけど……」
そうですね。
「どういう、関係性があるんやろね。」
「難しいな」
「自分も合ってるかどうかわからへんから」
あとは、黙っておく。
「いや、それはすごい傷つくよ。フリーズするのも、仕方ないことなんじゃないですか。」
「問題は、そこからどうするか、や。」反応を差し挟むということ。
「ここまで話したことってやっぱり繋がってる。
隙間がないこと、埋めようとすること」
「間を作って、そこから湧き上がってくるものをちゃんと楽しみに見るということ」
あと、2週間に一回やと話題が飛んでしまう、というのも話題にすると、1週間だと、ちょうどいいのかもしれないね、とペースの話に映っていった。
自分の決まったこと、安全なことから、ちょっと違う動きを出してみる。最近夢で怒る夢を見てるのも、そういう世界から飛び出る動きの様にも思う。
ポイント。
自分の出したことを勇気を持ってジャンプするのは大事なことだ。それでネガティブな反応もポジティブな反応も、起こるかもしれないけど、新しいことだ。それをとにかく責任を持って、引き受けなければならない。
最後の行。
出したものをちゃんと眺める、という作業。
苦しいけれど、それを見つめるということ。
石を投げて、起こる波紋を見ていく。
あとは、曖昧さを、見ていくこと、
何か決まった様に理解するのではなくて。
あいだをつくる、そこに湧いてくる新鮮なものへの驚きを絶やさない。
それが仕事や生き方にはとても大事なことだ、
何かを定めて、フォーミュレーションをする、理解はすごく大事だけど、それは、それなりの曖昧なものへの対峙の仕方なのだということ。その根底の曖昧なものへの構えはどんな人にだって必要なことだ。