2021/3/11 40 40 50 退屈についてのメモ
部屋片付けるのつらくて、居るのは辛いよこと、イルツラを読み直してしまっている。引きこもり傾向やや動けなさは、一見何もない空白の時間でさえ、退屈してないから行動が変化しないのかなあと思う。最近の自分の行動もとかく余白、がない気がする。お師匠にも言われてるし、先輩にも「思ったより病態落ちてる人なんだね」と言われたことがある。
退屈できる、というのは健康の証左なのかもしれない。余白、
余白のことを遊びというのも、意味深いなあと思う。遊びがなければ、健康ではない。
発達障がいの白か黒かと言った思考や、
強迫的な思考や、常同行動などの発達も、退屈することの困難さ、という視点から理解しても面白いのかもしれない。
暇になることをめざす、ということは心の治療として成立しそうだ。
人は心に穴が空いてる時、何かで埋めようとする。
物理的にだったら食べ物だし、
予定的ならスケジュールや仕事だし。
感覚的なら自傷だし。
そうした補い方に個性が出る。
脆い人は他人との境界が希薄だからそれで埋めようとして、ひきこもるし、何もしてないのではなく、ばらばらになりそうな何かをそこで自分を保つことに努力してるんかもしれん。俺もそうかもね。
アトピーあるんだけどさ、
皮膚の感覚過敏と、HSPとの関連って、やっぱり相関があるって研究であって、
紀要論文レベルだけど、そういうのは気になるよね。