2020/10/30
熱は下がった。
というか割と前に下がってた。
熱ががっと上がって、秒で下がる。体調不良は続いている。
咳は止まらない。
仕事に行ったら予定がキャンセルされてた。
休めばよかったぜ。
そのあと仕事した。面白い企画をもっとしたい。
面白いことをしたい、それだけが原動力で生きている。
それだけわかっていたら、あとはその方向に向けて生きていくだけかもしれない。
新しいことを始めるのは好きだけど、続けるのが苦手だなあと思っている。
色々なところを転々とするほかない。
何が楽しいかは知っているから、そのことを最大化するためだけに生きたい。
ギャンブルだってそうだけど、努力が不必要な快楽がある活動は、いつだって長期的にはデメリットなんだよな、と思っている。
本当の、と言い切ってしまっていいけど、それはある種の投資からしか得られない。
時間をかける必要があって、習熟と上達、学習の楽しさだけが本質だ。
それ以外の快楽は依存を生むかもしれない。
関係性の快楽もある種、即時的な充足なのかもしれないな、と思っている。
簡単に得られる人間じゃなくて良かった。依存しながら、一つに依存し過ぎないようにしないといけない。
依存性というのは、「依存の出来なさ」だと思う。
頼る場所を増やすことが、依存症を解消する。
不適切な依存ではなく、関係性の依存にスライドさせる。複数の。
依存症じゃない人間なんておらんというのが、持論だ。この前提に立たないと、よくわからないことになる。そしてそれに対して、周囲は困るかどうか、が治療の分かれ目だろう。
閑話休題。
夜中に、水溶液の濃度問題について説明することがあった。
8%の食塩水を5%にするには何グラムの水を足せばよいか?みたいなやつだ。
わかってるみたいなんだけど、むちゃくちゃ難しい。抽象的なものを、説明して納得してもらうのは難しい。
頭の中で、溶質と溶媒の関係もわかっているっぽくて、でも式が立てられないのは、何なんだろう?専門用語でいうと、形式的操作の困難さがあるのかな。
でもそれは別にそれでよくて(めちゃくちゃ根気よく教えるつもり)
それってどういう世界観なんだろう?という好奇心が湧いてしまう。
わかってしまってる自分とは決定的に、違う世界観だと思う。水溶液の計算が出来る自分は、知らなかった自分には戻れない。これは本当に誤解されたくないから、言うけど、そこに神様の視点からは優劣はない。文化的な視点によって意味が付与されるだけだ。
自転車に乗れることは、今の世界だと必須だけど、自転車がそもそもない5000年前の世界の文化では意味がないというような。
何かのスキルを身に付けるというのは、絶対的な「変身」だ。自転車に乗れない頃には戻れないということと同義だ。乗れなかったのに。白身を加熱したら白く凝固して戻らない、みたいに。加齢によって、いつかは、できなくなるのだろうけど。
わかる/わからないの「間」は、階段式に上達すると言われている。壁にぶつかって、あるときばっとそれが成長する。「羽化」「完全変態」とかそういうこともいえる。のように、ある時を境に愕然とした差が生まれている、0か1か、という変化がやはりある。