ばけのかわ日記

日記/備忘録/考えたことを列挙する。

2020/12/6

クトゥルフ神話trpgで遊んだ。人生3回目。

 

虚は語る、という、シナリオだった。以下ネタバレになる要素があるから注意。

 

最初は真面目な血気盛んな青年をロールプレイした。丸亀清太郎っていうの。

父親の名前は丸亀清明(まるがめ せいめい)です。

 

まえも実直なキャラ演じてて、そういうのらくなんだよなって思ってる節がある。

 

 でもなんていうか、真面目なキャラ、だんだんシナリオが進むと、自由度が下がってくるんだよな。ありえないことが起こると、逐一疑問を挟んでいくしかないし。行動原理がどんどんサイコパスになっていったのが面白かった。自動思考として、最初と全然キャラ違うじゃん、と言われると批判に聞こえたんだけど、それってだんだんキャラが立ってきて自然なやり取りができるようになってきたんだ、と思っている。別にそれでいいじゃん、と思う。

前提にしているのは、楽しいかどうか、だ。そこを外すと変になる。

目的にいつも立ち返る。相手の心の動きを推測したりするのもいい。

 

キャラならこうする、と私ならこうする、が分かれる瞬間があった。キャラはそうするしかないことと、PLの発想力のなさが露呈して、そういうふるまいになってしまったところがあった。反省だ。

 具体的には最後の選択のところ、目星したり、もっとごねたりしたら良かったと思った。あいてが与える二択に答えるだけではない、新しい答えを常にもとめられている

、とマインドセットにしておこう。本気で、それを考えることが正しさなんだと思う。きっとそれが醍醐味だろうしな。

上空からビルに行くという選択肢だってあったはずだし。

 

 

シナリオは、ネタバレになるから、読まないでほしいんだけど。絶望的な未来があって、それに気づかぬうちに人類が幸福のうちに生殖もせず滅びるか、正気に戻りながらも未来にやってくる旧支配者たちによって残虐に殺されるかの2択を迫られていたところだった。

 道徳的には、後者を選ばざるをえない感じがしていて、最後そっちを選んだんだけど。つまり、苦しみの感覚も、自分たちの人間としての命だから、それを味わって生きるしかない、という感覚だ。そうして、それはすでに傷ついていた人々を切り捨てるような形になったとしても、それを犠牲に何か成し遂げるべきものだ、という感覚だ。

 でも、なんか自分の感覚だと、ぜったい前者がいいな、と思っていた。そもそもくるしいことって、意味があれば耐えられるけど、意味がない(確実に終わりが来る状態)だと、耐えがたいと思う。くるしんで生きるよりも、生殖の機能もなくして、単に穏やかに生きられたらそれでいいじゃんと思う。はやく人類が滅んでほしいというか。

 

と思ってて、自分は、うっすらアンチ出生主義みたいなところがあるんだな、という気づきと、やっぱり今の現実がかなりつらいものと認識しているのだな、と感じた。

 

 ロールプレイ、もっと幅を持たせるべきだ。とっさに言葉が出ないこともあるけど、これは練習だ。

 具体的には、きざでいけ好かないやつ。こどもをからかうような、軽薄なキャラクターを演じたい。「やれやれ」「しょーがないねえ」と「ぼうや」「おじょうちゃん」と呼ぶような。最後は子どもを守って死にてえんだよな。あ~~やりて~~~~。

あとは反道徳的なふるまいを目指すやつ、金もうけだけに目がないとか、女を抱ければそれでいいとか。

 

あとはオネエキャラの退役軍人とか、どもってしまって引っ込み思案なキャラとか。

 

 

 

 

とかいろいろ考えていた。

帰り、駅の近くまで行って、スマホを忘れたことを知る。申し訳ないと言いながら取に戻らせてもらった。

 

あまり遊んだことのない人と、一緒に最寄り駅まで帰宅する。

チェッカー卓が好きらしく、いちみボムさんやぱぱびっぷさんの話で盛り上がった、

こういう話ができるのは、オタクじゃないとできないし、そしてこういう会話でしか、人とやり取りができない自分がいてへきえきする。

もっと興味のない話も興味持てるようにしないとな。

ビッグバンブライドは一番面白いシナリオだと思う。大味というか。

 

 

終わり終わり。いい日でした。