ばけのかわ日記

日記/備忘録/考えたことを列挙する。

パタポンの話。

好きなゲームの話。パタポンというゲームに中学生のころはまっていた。

友達がPSPごと貸してくれたんだった。

にゃんこ大戦争や,ピクミンみたいなものを連想してもらえたらわかりやすいかも。知らん人には。ウィキペディアを見てほしい。

 

パタポンというポケモンアンノーンみたいな形状をした妖精をつかさどる神になって,パタポンを指揮,モンスターを倒すというゲーム。パタポンはPLのことを神様だと思ってて無条件に崇拝してくれる。頼りにしてくれる。無条件の肯定ってあんまり人生で得られる機会がないから,とてもありがてえな~と思った覚えがある。

リズムよくボタンを押すと、それが行動の指示になってパタポンが動いたり攻撃したりしてくれる。逆にリズムを外すとパタポンは動かない。

 

パタパタパタポン □□□〇が前進なんだよな。

 

いわゆる死にゲーでもあったように記憶している。敵の攻撃のタイミングに合わせて回避する。異常な中毒性があり,当時は寝るときに目をつぶると,ずっとその音が流れて離れなかった。今もたまに思い出すときがある。頭にパタパタパタポンがこびりついている。

 

パタパタパタポン

攻撃する時はポンポンパタポン だ。

後退する時の唄はポンパタポンパタだ 

そういえばあんまり使わなかったんだろう。だからだろうけど,すぐ全滅していた。

 

なにが言いたいかというと。現実で落ち込んだり、やってらんねえよ、ってなった瞬間に、自分を何かを鼓舞せざるを得ない瞬間があって,そういうのって詩や音楽の仕事なんだろうって僕はいつも思っているのだけど,たまにパタポンのことを思い出す。あほらしいと思うけど,現実から距離を取るには役に立つのかもしれない。

理系で生きる方がお金や生活としては楽かもしれないけれど,人文や芸術を修めるということは,今後の人生がどんな苦境であってもそれを何かに仮託したり,語りなおしたりする力をつけていることを意味する,と聞いたことがあり,そうした言説を自分は結構丸っと信じている。レヴィストロースが言ってた野生の知恵ってこういうことなんですか?

自分はちょくちょくレールを外れている感覚がある。こうした感覚は,一生持ち続けるたぐいのものだろう。願わくば,それが許容される環境を探すことを諦めないでおきたいと思っている。

 

書いてて思い出した,パタパタパタポンは,すすめの唄,だ。

パタパタパタポンを思う。自分もしょせんパタポンなのかもしれないとき,すすめ,と指示/支持している,そういう存在が後ろにいるように期待してみる。ポンパタポンパタしてみる。ポンパタする自分のことを責めることがある。あんまり責めなくてもいいようにも思うんだけど。

長い目で見た時,所詮人生は死に覚えゲーだ,という理解が役に立つ。失敗が学習になる。責めなくても,それはそれでいいのかもしれない。とにかくゲームだけは投げ出さないでおきたい。